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2008/09/08|

 保守派女性の参画で数字上の女性枠問題は解決

ポジティブアクションとかアファーマティブアクションとか、積極的是正措置とか女性枠とか言われているものがある。これらを主張している者たちには、決定的な視点が欠如しているのではないのか。それは数字上の問題でしかないということだ。

クライン孝子の日記
■2007/12/26 (水) 来年は女性力で日本の税金ドロ政治家追放を!
http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=119209&log=20071226

というわけで、結論は、しっかりした日本の女性が積極的に
政治に参加して、日本を変えること!
チャンネル桜でお馴染みのキャスターさんたちに、次回の
国政選挙には思い切って立候補してもらい、落選してもいいから
次を狙って奮起してもらうこと!



クライン孝子のような保守派女性の声は、保守派男性に確実に届いている。伝統と創造の会の会長である稲田朋美の例のように、保守派女性が日本の伝統を守るために先頭に立つという例が出てきている。

ウェブ言説でもそうだが、女だからといって左派思想であるわけがない。保守伝統を重視する女性が、ブログなどで日本の伝統の重視を主張することなどいくらでもある。

保守派男性が思っているのは、女性の社会進出をもっとしろという圧力の中での策のことだろう。その策の中では、保守思想を軽視する男よりは、保守思想を重視する女のほうがいいと思っているのだろう。

保守派男性の書き込みなどを見ていると、櫻井よしこを日本国首相にという意見もかなりある。保守派男性の櫻井よしこへの支持は相当なものだ。国家基本問題研究所の理事長は、他の有力な保守派男性を差し置いて、櫻井よしこがなった。

保守派男性のジェンダー観には、日本の母性主義への思いもあるだろう。平塚らいてうは『青鞜』発刊に際して、「元始、女性は実に太陽であった」と言った。保守派男性は、天照大神への思いが、まずあるだろう。実は天照大神は男ではなかったのかとも言われているが。

他にも日本の母性主義はあげられる。本来は、仏教は女性差別と言われる。だが、日本には観音信仰がある。これは、仏教の女性菩薩だ。法華経では女も成仏できることもあげられる。

他に、保守派男性が言うことに紫式部『源氏物語』などをあげたり、もっと前の卑弥呼女王をあげたりもする。他には、寺小屋が日本全国にあったことをあげて、女子教育は普及していたし、女性の識字率は世界一だったというようなことも言っている。

こういった日本の母性主義は、日本のお小遣い制にもつながり、日本の妻が家庭での権限が強いことにも関係があるのだろう。

これらの母性主義の主張には問題点もあるが、保守派男性がこれらの母性主義を認識し、「日本の神は女性だったのだから」という意見を見かけることがある。

保守派男性の保守思想は、その保守思想を守るために変革している。八木秀次もテレビタックルで言っていたが「本当の保守派はその保守思想を守るために変わるもの」というようなことを言っていた。何にも変わらないで凝り固まった思想は、本当の保守派ではない。

保守派男性は、保守思想を守り抜くためには、クライン孝子のような保守派女性の意見を聞き入れるだろう。「しっかりした日本の女性が積極的に政治に参加して、日本を変えること!」とういことだ。つまり、保守派男性は「女性の社会進出」を促進するのだ。

これは、保守派男性が女の中の差異を見ていることだ。女の中に差異があるからこそ、その女の中から保守派女性を担ぎ上げている。「女の中に差異がある」ことを認識しているフェミニズムの論理を保守派男性も適用している。

学者フェミニストであっても、「男たちが戦争を起こしてきたのだから、今度は女性たちが平和をつくらなければならない」若桑みどり『戦争とジェンダー』(大月書店)のような女本質主義もいる。保守派男性はそういう学者フェミニストよりも、よっぽどフェミニズムの理論を適用していることを意味する。

女性の社会進出度が国際的に遅れているというのは、数字上のことにすぎない。保守派女性の参画が進めば、女性の社会進出が進んだ国が日本であるとなる。思想がどうあれ、「女であったら問題ない」というのが女性枠などの数字上で解決を図るものだ。

保守派男性が保守派女性と接近し、櫻井よしこを日本国首相にという中で、女性枠の数字上の解決を図ろうとしているフェミニストたちの策はどう出るのだろうか。


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2008/02/03|保守派女性と女性枠TB:0CM:9

 女は進歩で男は保守?:男に変われと言うが女は変わらないのか

面白い記事を見付けた。

「女。京大生。」の結婚観
http://d.hatena.ne.jp/iammg/20080126/1201360505

ここに書いていることは、「男はこういう保守的な考えを持つものだ」という教条主義的な思い込みが先行して、書いたことではないのか。実際に、発言の指摘をされた本人らしき人がコメント欄に出てきて訂正しているが。

おいおいおいおいおいおいおいおーーーーーーーーーーーーーーーいい。

上野千鶴子と遥洋子が同席してたら、ヒステリーおこしてるよ、ほんまに。当ブログの読者でありかつフェミニストの皆様は気分を害させてしまい大変申し訳ございません。



これは冗談と書いているが、本音で思ったことはこれではないのか。男は反フェミのことを言って高学歴の女を批判し、女性の社会進出を妨げるものだという思い込みのようなことが先行しているのではいのか。

ところで「フェミニストの皆様」と書いてあるが、母性主義フェミニストなら、違った感想を持つのでは。性差医療を重視するフェミニストなら「女は早く子供を産んだほうがいい」という意見も出るわけだし。これには医学的な根拠もある。フェミニストであっても「女は早く子供を産んだほうがいい」に否定的であるわけではない。

「高学歴の女子に男は萎える!」と書いていて、その思想は古いと書いている。

しかし、私は新時代を創る若者代表、として、この思想はもう古くなりつつありますよ!ということを当ブログにて宣誓したいと思います。



高学歴の女に対する男の古臭い意識を変えろということだ。今まで、この種のことは散々言われてきた。しかし、考えてみると、男に変われという圧力ばかりで、女に変われと言っているわけではない。

まだ私たちよりも10年早く生まれた世代は、男たるものXである!みたいなアイデンティティの固定化があったんだろうけど、私たちの世代って正直みんなそれぞれって感じで、男=X、女=Fみたいな公式が徐々にではあるけど無くなりつつあるように感じます。



その公式が徐々に無くなりつつあると言っている。だが、それは嘘であると言ってもいいのでは。

男には高学歴の女に対する古臭い意識も変えて、女性の社会進出をもっと認めろといい、家事育児を手伝えなどと言う。だが、そういう女たちは何か変わったのだろうか。

女性は社会進出をして男と同じ責任を持つようになったという反論もあるだろう。しかし、それは社会進出したい女たちが望んでしたことだ。高学歴の女への古臭い男の意識も、女性の社会進出に対する男の古臭い意識も、家事育児を手伝わない古臭い男の意識も、「男は仕事/女は家庭」の古臭い男の意識も、それら全ては古臭い男たちが変わりたいと望まないことを変えろと言っている。

男には望まないことで変われと言っておきながら、女は望んだことで変わっているわけだ。この二つの変化の仕方は違う。「男は保守/女は進歩」という二分法で言ったほうが受けがいいので、指摘しないということもあるのだろう。

「当ブログにて宣誓」と書いているので、同じく当ブログにて宣誓する。女の変化は保守的変化で、男の変化は進歩的変化である。これは一般社会通念とは逆なのだろうか。だが、これがすぐに分かることがある。

男女の自殺率格差問題だ。

男女の自殺率格差問題のまとめ

このまとめにあることを考えると、女は男に進歩的変化を求めながら、女自らは保守的変化を維持し続けることの一方的な変化のありようが分かる。

高学歴の女に対する男たちの古臭い幻想・思想は捨てされという女たちは、その根幹にある思想である男女の自殺率格差問題では口を噤んだままだ。

男には古臭い考えを変えろと言っておきながら、女は古臭い考えで支配している男女の自殺率格差問題の絶対的な肯定を続ける。この変化の非対称に全く気付かないものは、どうかしている。

男と女の変化の言説を見ていると、古臭い概念をいつまでも持っているのは女ではないのかと思うより仕方ない。これへの反論に「生物学的に女のほうが貴重だから、女は保守的変化でいい」というものもある。これを言うと、医学的には「女は子供を早く産んだほうがいい」という根拠があるのだから、女は早く子供を産めということにも繋がらないか。

というか、本当に

しかし、私は新時代を創る若者代表、として、この思想はもう古くなりつつありますよ!ということを当ブログにて宣誓したいと思います。



と言う女たちが、男女の自殺率格差問題についてはどう思っているのか知りたいものだ。「女性が社会進出をして男性と共同責任を担えば、格差問題は改善される」というのが怪しいことであるのに気付いた彼女たちは、女の保守的変化を認めざるをえないと思うのだが。

男女の自殺率格差問題の他にも、少女漫画での日本の女たちの異常とも言える狂信的ストーカーのような高身長欲望に対しても、女は変わることがない。

左の記事の分類にある少女漫画の記事は、そのことの一部を書いているにすぎない。「身長いくつ?」などと何十回聞かれたか分からない。グラビアなどを仕事にしている女たち以外で、一般の女たちが「バストは何カップ?」と日常的に何十回も聞かれることはありえないだろう。身長はバストどころの問題ではない。豊胸手術は身長手術に比べれば、遥かに簡単だ。


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2008/01/28|女は進歩で男は保守かTB:0CM:0

 男女の自殺率格差問題のまとめ

男女の自殺率格差問題で言われることがあるのが、以下の1〜8の意見です。その意見への反論を記事名とリンクで示したまとめです。


1.女性の社会進出が進み、男女で共同に責任を分かち合うようになれば、男女の自殺率格差問題も改善する。男女の自殺率格差問題は、男らしさに原因がある。

男女の自殺率格差とジェンダー:女性が周縁・他者になる理由
http://okasinakoto.blog103.fc2.com/blog-entry-74.html


2.日本女性の自殺率の高さのほうが問題。男性の自殺率問題はその後にするべき。

男女の自殺率格差問題を女性の自殺問題にすり替え
http://okasinakoto.blog103.fc2.com/blog-entry-75.html


3.国際的に見て日本女性の社会進出度は遅れているので、それを最優先にするべき。

企業で女性差別が起こる根源的な理由
http://okasinakoto.blog103.fc2.com/blog-entry-80.html


4.他の先進国は、もっと男女の自殺率格差が開いている。日本男性は、日本女性に比べれば死ぬ人数が少ない。

先進国の男女自殺率格差は日本以上は北欧を無視
http://okasinakoto.blog103.fc2.com/blog-entry-78.html


5.フィンランドの自殺対策を見習うべき。

男女自殺率格差問題が深刻なフィンランド
http://okasinakoto.blog103.fc2.com/blog-entry-77.html


6.男女の自殺率格差問題は生物学的性差の問題。女性差別を生物学的理由にしたいバックラッシュ勢力の戯言。

男女の自殺率格差問題は生物学的性差の本質主義か
http://okasinakoto.blog103.fc2.com/blog-entry-82.html


7.男性の人命問題は性差医療で考えていること。

男女自殺率格差問題は男女差考慮の性差医療でも無視。
http://okasinakoto.blog103.fc2.com/blog-entry-83.html


8.男女の自殺率格差問題は、有効な対策がないから予算を付けようがない。

男女の自殺率格差問題は対策がないから予算なし
http://okasinakoto.blog103.fc2.com/blog-entry-86.html


9.1〜8をまとめると

男女の生命の非対称があらゆる原因ではないのか
http://okasinakoto.blog103.fc2.com/blog-entry-87.html


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2008/01/19|男女自殺率格差のまとめTB:0CM:0

 男女の生命の非対称があらゆる原因ではないのか

あらゆるジェンダーの非対称は、男女の生命の非対称に理由がある。

「男は仕事/女は家庭」も、国会議員に女性が少ないことも、大企業の社長に女性が少ないことも。フェミニストが今まで批判してきたあらゆる女性差別の根源にあるのは、男女の生命の非対称のありようだ。

ここでも、『戦争とジェンダー』(大月書店)78頁で若桑みどりが言った「ジェンダー分業の究極のありかたは、『女は生命、男は戦争』」を出さないわけにはいかない。

「女は生命、男は戦争」は究極のジェンダー分業であり、男女の生命の非対称を最も如実にあらわしている。

若桑みどりは、究極のジェンダー分業が「女は生命、男は戦争」であるところまでは辿り着いた。だが、それで終わってしまっては、表層上の問題点の指摘にすぎない。

「女は生命、男は戦争」であるという指摘だけでは、それが本質主義で終わってしまう。「男女の生命の非対称のありようは本質主義であるから、変わりようがない。だから、ジェンダー分業が維持される」という結論を導くことにもつながる。若桑みどりは「女は生命、男は戦争」の指摘をしたまではよかったが、その後の分析が不十分なままに終わってしまった。

「女は生命、男は戦争」という究極のジェンダー分業は、本当に生物学的な性差に基づくのかということは、男女の自殺率格差問題は生物学的性差の本質主義かに書いている。生物学的性差ではなく、現状でも、ある程度の改善はできる余地がある。

男女の生命の非対称はどうしようもないことではなく、対策をする気があればできるものだ。だが、フェミニストたちはそれをしない。男女共同参画局に至っては、全くする気がない。

男女の生命の非対称の対策があるのにしない限りは、ジェンダーは非対称であり続ける。男性の人命問題は無視され、あらゆる女性差別は温存され、それらはなくなることはない。そして、それを望んでいるのは、多くのフェミニストたちであり、男女共同参画局である。

フェミニストたちは女性差別の理由を今まで散々議論してきたのに、男女の生命の非対称のありようを真剣に論じてこなかった。男女の自殺率格差とジェンダー:女性が周縁・他者になる理由などに書いてある。

究極のジェンダー分業を強固に維持してきたのがフェミニストたちであることは、もはや疑いようがない。女性差別を根源的に支持しているのは、フェミニストたちである。


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2008/01/19|男女の生命の非対称TB:0CM:0

 男女の自殺率格差問題は対策がないから予算なし

男女共同参画局は「生涯を通じた女性の健康支援」の予算を設けている。だが、男性の人命問題の予算は全くない。この理由に「男性の人命問題は有効な対策がないから予算の付けようがない」があるのだろうか。

男女の自殺率格差問題は生物学的性差の本質主義かに書いているように、自殺問題は「防ぐことのできる公衆衛生上の問題」だ。男女の自殺率格差は性差医療の観点から応用できる。

「男性の人命問題は対策がないから予算がない」と言うのは「対策する気がない」と言っているのと同じである。

男女の自殺率格差問題はどうやって対策すればいいのか分からないという理由もあるのだろう。だが、分からないからと言ってもやれることはある。男女の自殺率格差は3倍くらい開いていることを問題視するための何らの対策もできないというのか。

今までどうやって対策すればいいのか分からないことがあっても、何とか対策案を練り出し、法律で強制してまで推進してきた。それが男女平等政策ではなかったのか。積極的是正措置の女性枠を法律で強制できないのかとまで言われている。

そのようなことまで考えながら「男性の人命問題はどうやって対策すればいいのか分からない」では済まない。

そもそも、女性枠の問題があるのはなぜか。女性の社会進出が進んでいないからだとされている。その理由は何か。企業で女性差別が起こる根源的な理由に書いている。

その理由を放置して女性枠を先に優先するのは、本末転倒という他ない。人命という最も重要な人権問題で「対策がないから予算がない」で済ませて、全く予算を付けないままでいる。

各地域の男女共同参画局にポスターや冊子を作るように呼びかけることもできないというのか。どれだけ男の命は女の命に比べれば軽く扱われているのだろうか。男女共同参画局は、男の命など計り知れないほどに価値がないと言っている。

男女共同参画局を主導してきたのは、女たちであって男ではない。他の分野では男が指導的地位に付いていても、フェミニズムやジェンダーの分野では女が指導的地位に付いている。フェミニズムやジェンダーの分野では、男は指導的地位の女の顔色を伺いながら発言をしている。

男女共同参画局が間違いなく男の命など虫ケラのゴミの山のようだと言っているのであって、これを主導してきたのは間違いなく女たちだ。男たちはその女たちの決定に従ってきた。だが、男女共同参画局がしてきたのは、保守派の男たちと結果的には同じだった。

「男性の人命問題は有効な対策がないから予算の付けようがない」と言って、男女共同参画局が予算を全く付けないのは、他のどうやって対策をすればいいのか分からないことであっても対策をしてきたこととは、明らかに矛盾することだ。

その矛盾することを人命問題という最も重要な人権問題でしている。

「男性の人命問題は有効な対策がないから予算の付けようがない」と言う者たちは、「予算は付ける気がない。男の命はゴミだから」とはっきりと本音で言ったらどうなのか。


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2008/01/19|男女自殺率格差は対策がない?TB:0CM:0

 反フェミニズム:保守派の右派思想,男性差別の左派思想とその彼方

フェミニストたちの反フェミニズム分析は、あまりに稚拙であると言うほかない。『バックラッシュ!』(双風舎)は反フェミニズム分析の本でもあり文量もあったが、反フェミニズム分析は全体として見れば不十分だった。

フェミニストたちがよく言うことに、「フェミニズムはこれだけ多様性がある」という常套句がある。

上野千鶴子・小倉千加子『ザ・フェミニズム』(ちくま文庫)235-236頁

小倉 だから、「フェミニズムがめざすものは?」と問われたときに、答えはありません。フェミニズムをひとくくりにすることはもうできないんです。みんな言っていることが違う。フェミニズムは一人一派です。



このように、フェミニズムには多様性あると主張する一方で、フェミニズム批判の多様性を認識していない。ジェンダーフリー論争では批判する者たちをバックラッシュという仮想敵に仕立て上げて、自らが作り上げた虚構と戦っている有様が随分と見えて滑稽だった。実体のない相手をバックラッシュとして戦っていたのである。

人命問題での反フェミニズム主張はどういうものがあるのか。

保守派は、男女の自殺率格差問題をどう思っているのか。

保守派は「男は一生涯をかけて女を守るべき」と思っている。保守派は保守派の路線で、それを言っている。保守派は「男は女を守るべき」と当然に思っているから、男の命が女の命よりも軽く扱われていることを問題視しない。保守派の言っていることは、ジェンダー平等の路線から外れている。だが、保守派は、そもそもがジェンダー平等を主張していないのだから、当初からの信念を貫いているだけだ。

その保守派の「守られる存在としての弱い女」像を批判してきたのがフェミニストたちだ。だが、フェミニストたちは、人命問題という最も重要な人権問題で結局、保守派の男たちと同じだった。最も重要な人権問題でフェミニストたちと保守派は、結果的な利害は一致しているのだ。

母性主義フェミニストや、最近になって言われているフェミウヨなどではなく、ジェンダー平等を主張しているフェミニストたちにとっては、男性の人命問題を無視するとジェンダー平等の論理と甚だしく矛盾することになる。男女の自殺率格差問題を無視し続けるフェミニストたちは、ジェンダー平等を本気で考えているフェミニストではない。

現在の男女共同参画局がジェンダー平等の論理から甚だしく矛盾しているのは言うまでもない。

反フェミニズム主張をしている者たちは、若桑みどりが『戦争とジェンダー』(大月書店)で言った究極のジェンダー分業である「女は生命、男は戦争」のジェンダー分業を固定的に思っている右派思想の者も多い。

右派思想から反フェミニズム主張をしている者たちは、青少年犯罪は凶悪化したとか、道徳教育の強化とか、新渡戸稲造の武士道が日本の伝統とか、性道徳の強化や純潔教育なども主張している。右派思想から反フェミニズムを主張している男たちに男性の人命問題を言っても、「女性の命のほうが尊重されるのは当然。女々しいことを言うな」などと言うだけだから、言うだけ無駄だ。

右派思想から反フェミニズム主張をしている者たちは、家父長的温情主義から主張している。

フェミニストたちがバックラッシュとして主に批判対象にしているのは、保守派の右派思想の者たちの主張だ。毎度のように、八木秀次・林道義の二人を出して得意げに批判している有様は、保守派の男たちが田嶋陽子を批判して「フェミニストよ、これで参ったか!」という妄想と同程度のことである。

男性差別や男性学を主張ををする者は、男性の人命問題をどう思っているのか。男性差別主張をしている者たちは、男らしさを問題にしている。だから、男女の自殺率格差も男らしさが原因と言う。ウェブ上で男性差別主張をしている男たちで、専業主婦に猛烈な批判や罵倒をする集団は、これに属する。こういう男性差別主張の者たちは、男女の自殺率格差問題は男らしさが原因だと教条主義的に思い込み、本当の理由を考えない。

こういう者たちは、教条主義的フェミニズムの狭量なフェミニズムの信奉者だ。単なる教条主義フェミニストの男版にすぎない。

この左派思想から男性差別主張をする男たちに男女の自殺率格差問題を言っても、怪しげなメンズリブ集団の「男の料理教室」とか「男は加害者として反省する会」のように、男らしさ教条主義から男らしさを問題に仕立て上げて虚構を作るだけで、真剣に分析しようとはしない。

結局、男性の人命問題に対して、右派思想の保守派たちも、左派思想の男性差別主張の者たちも、いい加減な考えを持っているだけだ。

反フェミニズム主張をしている者たちは、右派思想、左派思想と単純に分けられるものではない。保守派の右派思想と男性差別の左派思想の彼方には、何があるのかを認識することが重要だ。ここの分析がフェミニストたちは非常に乏しく、バックラッシュと一括して仮想敵を作り出す傾向にある。

右派思想の保守派の者たちは「ジェンダーはセックスを規定する」を極左だと思っている。左派思想の男性差別の者たちは、男らしさを極端に批判している。

私自身のことで言えば、「ジェンダーはセックスを規定する」など大したことではないと思うし、男らしさを強固に持つマッチョ男のことを否定するつもりもない。

「ジェンダーはセックスを規定する」を肯定し、それを大したことではないと言う者にはバックラッシュと言わないと思い込んでいたフェミニストが、同一人物がマッチョな男像を肯定したために、バックラッシュと言おうか言わないかで迷ってしまう。狭量な教条主義フェミニストの苦悩である。

「ジェンダーはセックスを規定する」は、ポスト構造主義思想の影響を多分に受けてのものだ。

ポスト構造主義を経由した後の現在では、フェミニズムのありようがかなり変わった。ポスト構造主義からフェミニズム内部の理論に入り込み、フェミニズムを内部から揺さぶるのは、かなり効果的ではないだろうか。

この批判の仕方をバックラッシュと言う教条主義フェミニストは、心底バカではないのかと思う。ポスト構造主義からのフェミニズム批判は、フェミニズムをなくす勢力だとして、「ポストフェミニズム勢力からのバックラッシュ」と取られる可能性もある。

ポストフェミニズムという名称は、バックラッシュ側に利用される可能性があるために、 “ポスト”フェミニズムとしたのが竹村和子だ( 『“ポスト”フェミニズム』(作品社))。 “ポスト”フェミニズムまでは許せるが、ポスト構造主義ジェンダー論までになるとフェミニズム理論の枠外に出てしまうので、抵抗があるフェミニストも多いのではないのか。

竹村和子は『“ポスト”フェミニズム』の序文で、ジェンダーは価値中立的な響きがあり、現実の権力関係の問題を考えると、ジェンダーという用語よりもフェミニズムという用語にしたくて“ポスト”フェミニズムという題名にしたとある。そうなると、ジェンダーという時点ですでに反フェミニズム的なところもあるということだ。

ポスト構造主義ジェンダー論は、その価値中立的と思われているジェンダーにも潜む自明性に、さらに疑いのまなざしを向けまくるものだ。そのため、そんなポスト構造主義思想からフェミニズム批判をされると、フェミニズムは本当になくなってしまうかもしれないと危惧する心穏やかではないフェミニストが、実はかなりいるのではないだろうか。

そういう心穏やかではないフェミニストは、家父長制本質主義としてまとまり、男全体を叩きたいという無意識の心理があるのではないのか。ポスト構造主義からのフェミニズム批判をバックラッシュと言いたくてウズウズしているのだろう。しかし、そんなことを今更言ってしまうと、少なくとも学者フェミニストではないと思われてしまう。

ポスト構造主義は狂気の沙汰の思想であり、それに比べると日本のフェミニズムは何とも思想の幅が狭い。ポスト構造主義からの日本のフェミニズム批判を本気ですると、保守派のバックラッシュどころではない。保守派のバックラッシュは単なる感情論であったり、男女同室着替えはジェンダーフリーに基づいて始められたなど根拠のないことをよく言っている。ポスト構造主義からのフェミニズム批判によって、日本のフェミニズムの本質主義は暴露され、徹底的に批判される。

ポスト構造主義を経由して、その影響を受けたフェミニズムの宿命である。

ジェンダー分析がすでにフェミニズムの内部の論理をズラすものでもあるのだから、その彼方にあるポスト構造主義からのフェミニズム批判も、バックラッシュと言わずに受け入れるより仕方がない。

フェミニズムの内部にポスト構造主義思想で入り込み、フェミニズムを内部から揺さぶる「反フェミニズム勢力」からは、右派思想からの保守派や左派思想からの男性差別主張をしている者たちと同調しないところがかなりある。狭量な教条主義的フェミニストたちが思っているほどに、反フェミニズム思想は固定的ではないし、流動的である。

ここで取り上げた右派思想からの保守派という最も典型的なバックラッシュ勢力と、左派思想からの男性差別や男性学の路線からの勢力と、ポスト構造主義からフェミニズムを批判する派の3つだけでも、かなりの違いがある。

さらには、それら3つが混交して複雑なありようをしていることもある。男性差別主張をする者たちで左派ではなく、右派思想から男性差別主張をしている者たちもいるし、右派思想に基づいた男性学もあり得る。

フェミニズム批判はその3つだけではない。保守派のバックラッシュや男性差別の左派思想やポスト構造主義からの批判とも違って、ポストフェミニズムとしてフェミニズムを抹消したい主張などもあって、何が何だか分からないくらいではないのか。

実際にフェミニズムを批判している者たちは、フェミニズムの分派と同じくらいに分かれているのではないのか。

フェミニストたちがバックラッシュとして批判している相手は、仮想敵であり、実体がない相手であることも多いことを認識したほうがいいのではないだろうか。


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2008/01/12|反フェミニズムの多様性TB:0CM:0

 男女自殺率格差問題は男女差考慮の性差医療でも無視

性差医療に本腰 4月から聞き取り調査 厚労省

 しかしこれ以外にも、内閣府男女共同参画局が厚労省のデータを基に昨年12月にまとめた、疾患ごとの男女別通院数(1000人あたり)によると、認知症では女性が3・4人で、男性(1・7人)の倍となった。また、白内障は男性17・2人に対して女性33・0人、肩こりは男性16・0人に対し女性39・7人と、女性に多い症状であることが分かった。

 病気の種類によって、発症しやすさに男女差があるという事実は以前から知られており、予防や治療の面で性別によって異なる対応をとることが有効だというのが、性差医療の考え方。民間レベルでは平成15年に学会が発足したほか、「女性専門外来」を設ける医療機関も増えている。



男女差の性差医療が考えられる時でも、男女の自殺率格差問題は考えられない。

この記事を見ると、性差医療は女性問題であるとしている。「厚生労働省は昨年12月に発足させた民間有識者らによる「女性の健康づくり推進懇談会」で性差医療に関する議論を深める」とあるように、性差医療であるのに、女性医療になっている。女性専門外来はその女性医療を進めるものになっている。

「女性のことが考えられずに、男性の視点で医療が考えられてきたために性差医療ができた」という意見は、現実と合っているのだろうか。

人権の最重要項目は人命だ。日本の男女の平均寿命は、男性のほうが女性よりも7年くらいも短い。男女の自殺率格差は3倍くらいも開いている。これらの男性の人命問題は性差医療で無視されて、女性の肩こりのほうが重視されているのか。

性差医療で周縁化しているのは、男性の人命問題だ。このことを考えないで、女性専門外来を作って、女性のほうを重視している。これは、ジェンダー分業を強化することにつながるのは、この記事の最後の「男女の自殺率格差とジェンダー:女性が周縁・他者になる理由」にある。

性差医療で女という集合体に向かっていき、男という集合体を排除する構造は、ラディカルフェミニズムが言ってきた家父長制とそっくりだ。

ラディカルフェミニズムの家父長制主張は、ひとつの女という集合体でシスターフッドとしてまとまり、男を敵視する言動をしてきた。

ポスト構造主義を経由した後の思想では、フェミニズムに限らずに、ラディカルフェミニズムの家父長制主張のような本質主義は否定される。

性差医療は女性医療に向かい、男性の人命問題を軽視し、女性専用外来まで作るところを見ると、ラディカルフェミニズムの家父長制がここに生きているのではないだろうか。

フェミニズム医学で、男女の自殺率格差は男性の男らしさが原因として考えられているという人には、以下の記事を推奨。

男女の自殺率格差とジェンダー:女性が周縁・他者になる理由


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 男女の自殺率格差問題は生物学的性差の本質主義か

男女の自殺率格差の肯定が女性差別の根源だと言うと、「女性差別を生物学的性差の本質主義にしたい勢力の言うこと」と決め付ける人たちがいるのだろうか。「男女の自殺率格差問題を取り上げるのは、生物学的性差を取り上げることによって、男と女は違い、女性差別を当然視するバックラッシュ勢力の言うこと」と決め付ける人たちがいるのだろうか。

自殺は個人の問題ではなく、社会の構造によって引き起こされるものだ。

自殺対策支援センターライフリンク 「WHO世界自殺予防デー フォーラム2006」の下のほうにあるように

Suicide huge but preventable public health problem, says WHO World Suicide Prevention Day - 10 September

「自殺は深刻な、しかし防ぐことのできる公衆衛生上の問題である」 世界自殺予防デー(9月10日)

日本語訳は以下のサイトにある。

「自殺は深刻な、しかし予防可能な公衆衛生上の問題である」とWH0は述べています。(世界自殺予防デー 9月10日)

英語の原文は以下のサイトにある。

Suicide huge but preventable public health problem, says WHO World Suicide Prevention Day - 10 September

自殺は、防ぐことのできる公衆衛生上の問題とされている。

ここまでは自殺問題であることに変わりはないが、男女の自殺率格差問題のことまでは、指摘できていない。

性差医療に本腰 4月から聞き取り調査 厚労省

内閣府男女共同参画局が厚労省のデータを基に昨年12月にまとめた、疾患ごとの男女別通院数(1000人あたり)によると、認知症では女性が3・4人で、男性(1・7人)の倍となった。また、白内障は男性17・2人に対して女性33・0人、肩こりは男性16・0人に対し女性39・7人と、女性に多い症状であることが分かった。

病気の種類によって、発症しやすさに男女差があるという事実は以前から知られており、予防や治療の面で性別によって異なる対応をとることが有効だというのが、性差医療の考え方。



この性差医療の考え方を、男女の自殺率格差問題でも適用するべきだろう。

まず、自殺は防ぐことのできる公衆衛生上の問題である。次に、男女差があるのを性差医療の観点から考える。この二つのことを考えれば、男女の自殺率格差問題は、生物学的性差の本質主義であるという指摘は間違いだ。


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2008/01/07|男女自殺率格差は生物学的本質主義?TB:0CM:0

 「進歩的」女性の男性差別観:男性差別の胡散臭さ

最近は、女性も男性差別を主張するようになっている。だが、そこにある男性差別観に疑いのまなざしを向ける必要がある。

【第2回】語られざる男性差別,男性に“職業選択の自由”はあるのか、という記事がある。その記事の著者である治部れんげ記者は、男女のキャリアについて調査をしていると書いている。

治部れんげ記者がそこで書いてあることは、ウェブ上で言われている男性差別の指摘を見回すと、当たり前のことを言っているだけである。男を粗大ゴミと言うのが問題であるのは、男女のキャリアについて調査をしている人ではなく、一般のジェンダーに関心のない女性であっても疑問に思うことだ。保守派女性のブログを見ても、女たちの一方的な批判を疑問視している書き込みもあるくらいだ。

その記事の2頁目に、The Myth of Male Power(Warren Farrell著、Simon &Schuster、1993年)のことがあり、治部れんげ記者は以下のことを書いている。

 ファレル氏は、男性の命は「捨てられてもいいもの」と見なされており、これは差別ではないか、と説く。ホームレスや囚人の死亡者数も男性が圧倒的に多い。もともとホームレスや囚人は男性が多いためだが、男性がこうした状況に陥りやすいということ自体、ファレル氏に言わせれば差別ということになる。



こういう指摘はウェブ上を見渡せば数多くあるもので、だからどうするのか?ということが重要だが、その先のことは全く書いていない。

治部れんげ記者の男性差別観はどういうものなのか。【第3回】「女性活用」のウソを見抜く,「ワークライフバランス企業」の「本気度」という記事がある。そこで、男性の育児休暇によって女性も働きやすくなることが書いてある。企業は男性の育児休暇にもっと積極的にということだ。

男性の育児休暇を主張する女性は、育児休暇を男性が取れないのは男性差別だと言うことがある。だが、それは本当に男性に対する差別と思って言っているのか。そうではなくて、女性の社会進出をもっと促進したいために、男たちをダシに使っているのではないのか。

私が男性差別に懐疑的なのは狭量なフェミニストたちや、それに類する者たちに、男性差別主張が吸収されて利用されるのではないかと疑っているからだ。

治部れんげ記者の男性差別観をさらに探ってみる。「男性の命は「捨てられてもいいもの」と見なされており、これは差別ではないか、と説く」ということを受けて、治部れんげ記者はどう応答するのか。ここが重要だ。

治部れんげ記者は、こう言いたいのだろうか。「男のくせに根性がないなどの男社会の男らしさの束縛が男性を苦しめている。男らしさの縛りがなくなれば、男性の命が軽く扱われることはなくなる」と。

その種の主張には、根拠がないことを以下に書いている。

「男女の自殺率格差とジェンダー:女性が周縁・他者になる理由」

男社会の傾向が強かった時代のほうが男女の自殺率格差が小さかった。男女の自殺率格差問題がある現在の日本は、以前よりも男らしさが批判され、女性の社会進出が進んでいるのに、男性の人命問題が考えられていない。

女性の管理職がまだ少ないからという批判もあるだろう。それは間違っている。男女共同参画を推進してきたのは女たちであり、その男女共同参画局が女性には「生涯を通じた女性の健康支援」の予算を設けるが、男性の人命問題には一円の予算も付けていないのだ。

これは「ポスターや冊子などの紙切れ一枚よりも、男の命のほうが軽いのだから」と、女たちが主導してきた男女共同参画局が言っていることを意味する。女が発言権を得ても、男の命の軽さの扱われようは何も変わらなかった。保守派の男たちと同じことをしていることが明らかになったのだ。

企業での女性差別については以下の記事。

「企業で女性差別が起こる根源的な理由」

治部れんげ記者は、これらを考えてどう応答するのか。これらを考えると「男社会の男らしさに問題があるから、それを是正するために女性の社会進出を促進するべき」という主張はできない。

治部れんげ記者のような男女のキャリアについて調査をしていて、男性差別を主張するような女性には、男性の人命問題に応答することは耐えられないものかもしれない。

男性の人命問題は、男社会を問題視すればいいという単純なものではないからだ。

「男社会の男らしさでもなく、女性の社会進出でもなく、他の理由が考えられる男性の人命問題」を、女性の社会進出対策のダシに男性の人命問題を使ってきた「進歩的」女性たち。

「男社会の男らしさが悪いのだから、女性の社会進出対策をすれば男性の人命問題も解決!」というのは胡散臭さの極みだ。これは男性の人命を虫ケラのように考えている。このような考えがジェンダー分業を強化し、企業での女性差別促進につながることは「企業で女性差別が起こる根源的な理由」に書いている。

人命問題は人権の最重要項目だ。これに比べれば、本来は些細な女性問題ばかりが主張されている。男性の人命問題を無視する連中に女性の人権を考えろと言われても、何の説得力もなければ、矛盾していること甚だしい。

「進歩的」女性の男性差別観は、男性の人命問題への応答でその真価が問われる。


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2008/01/05|「進歩的」女性の男性差別観TB:0CM:0

 企業で女性差別が起こる根源的な理由

かめ?というブログ記事への応答。トラックバックもしました。

フェミニズムなんて分からないけれど、「女性差別」はあると思う

この記事の問題点はジェンダー分業だ。若桑みどり『戦争とジェンダー』(大月書店)78頁にあるように「ジェンダー分業の究極のありかたは、『女は生命、男は戦争』」である。若桑みどりがフェミニストとして長年考えてきたことの究極のジェンダー分業がそれと言っている。私も若桑みどりと同じく、そうではないかと思っている。

ジェンダー分業がなぜ起こるのかをフェミニズムは色々言ってきたが、どれも表層上のこととしか思えない。「女は生命、男は戦争」になるのは、男女の自殺率格差問題が主要な理由ではないのかと思っている。

男女の自殺率格差問題については、以下に書いている。

「男女の自殺率格差とジェンダー:女性が周縁・他者になる理由」

かめ?というブログ記事にあるように、女のほうが就職に不利、企業で男のほうが重視されるなどのことの根幹には、男女の生命の扱い方の違いがあって、それが若桑みどりが言った究極のジェンダー分業の「女は生命、男は戦争」になる。

男女の自殺率格差問題に真剣に応答したフェミニストは知らない。男女の自殺率格差を自らに都合のいい論理の補強としたフェミニストなら知っている。

そういうフェミニストが言うのは「男女の自殺率格差があるのは男社会が原因で、男社会の重圧のために男性が背負ってきた重荷を女性も一緒に共同で担っていけばいい」という類の教条主義的な言説だ。

女性が社会で男性と共同で働くようになると、男女の自殺率格差の拡大は改善されるというのは根拠がないことを「男女の自殺率格差とジェンダー:女性が周縁・他者になる理由」に書いている。これを書くと、女性の社会進出を妨げるバックラッシュ側の意見と言う人もいるだろう。

だが、「男らしさが原因だから」という教条主義的な大前提を根拠もなく作り上げて、それに合わせて男性の人命問題の理由付けをウソでもいいから強引に行うのは非常にあくどい。男性の人命問題を自らの論理の補強のダシに使っている。「男の命など知ったことではない」と思っている連中は、男女の自殺率格差の理由を自らに都合のいいように解釈するのであって、真剣にその理由を考えることはない。

女性の社会進出が進めばこれだけおまけが付いてくる特典がありますよなどと言って、根拠がないことばかり言っているから胡散臭くなる。女性の社会進出の促進のためには女性の社会進出の対策をするべきで、何かの特典がないかとグリコのおまけみたいなものを探して、ウソでもいいから特典を付けようとするから胡散臭いと言われる。

バックラッシュ側の意見と思った人は、「男女の自殺率格差の拡大なんかどうでもいい。男がいくら死のうが知ったことではない」ということだ。それが、究極のジェンダー分業の「女は生命、男は戦争」になる。結局、男女の自殺率格差の拡大の問題を無視する連中は皆、ジェンダー分業を肯定しているのだから、企業での女性差別が起こるのは当たり前になる。

「男がいくら死のうが関係ない」は簡単に考えても「男は女を守るべき」になり、「男は仕事・女は家庭」につながることはすぐに分かることだ。

男女共同参画局が作っている色んなポスターや冊子に比べても、男性の命のほうが軽いものだ。ポスターや冊子には予算が付いているが、男性の人命問題の予算は全くないからだ。女性には「生涯を通じた女性の健康支援」の予算がある。

男女共同参画局は「ポスターや冊子などの紙切れ一枚の価値よりも、男の命は価値がない」と言っている。変なポスターの紙切れ一枚や、珍妙な一講座のほうが男性の人命よりも遥かに尊重されている。それらの紙切れ一枚や一講座には男女共同参画の予算があるが、男性の人命のための予算は一円もないからだ。

こういう現状では、若桑みどりが言った究極のジェンダー分業である「女は生命、男は戦争」が強固に維持されるのは当たり前だ。これを崩すのがフェミニストであり、それに親和性のある者たちだが、それらの者たちが、「女は生命、男は戦争」のジェンダー分業を強固に維持している。その限りは、企業での女性差別が起こるのは当然だ。

かめ?というブログの記事のように企業での女性差別問題を書いている人たちは、本当に企業での女性差別をなくしたいのならば、究極のジェンダー分業を根幹から支えているものを問題にしないといけない。


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2008/01/05|企業の女性差別の根源TB:0CM:0

 先進国の男女自殺率格差は日本以上は北欧を無視

 「男女の自殺率格差を女性の自殺問題にすり替え」の続きです。

 ウィキペディアに先進国の項目がある。そこでのアメリカ中央情報局 (CIA)のThe World Fact Bookによる先進国は、以下の国。

 アイスランド、アイルランド、アメリカ合衆国、アンドラ、イギリス、イスラエル、イタリア、オーストラリア、オーストリア、オランダ、カナダ、ギリシャ、サンマリノ、スイス、スウェーデン、スペイン、デンマーク、ドイツ、トルコ、日本、ニュージーランド、ノルウェー、バミューダ諸島、フィンランド、フランス、ベルギー、ポルトガル、マルタ、南アフリカ共和国、モナコ、リヒテンシュタイン、ルクセンブルク、ローマ教皇庁。

 世界各国の男女別自殺率の推移(WHO)で、上記先進国にある北欧5ヶ国のアイスランド、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、フィンランドと日本の男女自殺率格差の推移は、以下の通り。

 アイスランドの1955年から2004年までの10万人当たりの男女別自殺率

 1955年 男性 22.5 女性 6.3 男女格差 約3.57倍
 1960年 男性 9.2 女性  6.8 男女格差 約1.35倍
 1965年 男性 19.5 女性 3.2 男女格差 約6.09倍
 1971年 男性 8.6 女性   2 男女格差   4.3倍
 1975年 男性 12.7 女性 7.4 男女格差 約1.72倍
 1980年 男性 12.2 女性 8.8 男女格差 約1.39倍
 1985年 男性 20.6 女性 5.8 男女格差 約3.55倍
 1990年 男性 27.4 女性 3.9 男女格差 約7.03倍
 1995年 男性 16.4 女性 3.8 男女格差 約4.32倍
 2000年 男性 29.8 女性 5.7 男女格差 約5.23倍
 2004年 男性 17.7 女性 6.2 男女格差 約2.85倍

 スウェーデンの1950年から2002年までの10万人当たりの男女別自殺率

 1950年 男性 22.7 女性 6.9 男女格差 約3.29倍
 1955年 男性 27.2 女性 8.5 男女格差   3.2倍
 1960年 男性 26.3 女性 8.6 男女格差 約3.06倍
 1965年 男性 27.7 女性 10.1 男女格差 約2.74倍
 1970年 男性 31.3 女性 13.2 男女格差 約2.37倍
 1975年 男性 27.7 女性 11.2 男女格差 約2.47倍
 1980年 男性 27.6 女性 11.3 男女格差 約2.44倍
 1985年 男性 25.0 女性 11.5 男女格差 約2.17倍
 1990年 男性 24.1 女性 10.4 男女格差 約2.32倍
 1995年 男性 21.5 女性 9.2 男女格差 約2.34倍
 2000年 男性 18.3 女性 7.3 男女格差 約2.51倍
 2002年 男性 19.5 女性 7.1 男女格差 約2.75倍

 デンマークの1950年から2001年までの10万人当たりの男女別自殺率

 1950年 男性 31.7 女性 15.0 男女格差 約2.11倍
 1955年 男性 32.0 女性 14.8 男女格差 約2.16倍
 1960年 男性 27.2 女性 13.6 男女格差    2倍
 1965年 男性 24.0 女性 14.7 男女格差 約1.63倍
 1970年 男性 27.4 女性 15.7 男女格差 約1.74倍
 1975年 男性 29.9 女性 18.4 男女格差 約1.62倍
 1980年 男性 41.1 女性 22.3 男女格差 約1.84倍
 1985年 男性 35.1 女性 20.6 男女格差 約2.17倍
 1990年 男性 32.2 女性 16.3 男女格差 約 1.7倍
 1995年 男性 24.2 女性 11.2 男女格差 約2.16倍
 2000年 男性 20.2 女性 7.2 男女格差 約 2.8倍
 2001年 男性 19.2 女性 8.1 男女格差 約2.37倍

 ノルウェーの1955年から2004年までの10万人当たりの男女別自殺率

 1955年 男性 11.7 女性 3.4 男女格差 約3.44倍
 1960年 男性 10.4 女性 2.5 男女格差  4.16倍
 1965年 男性 11.8 女性 3.6 男女格差 約3.28倍
 1970年 男性 11.8 女性 5.0 男女格差 約2.36倍
 1975年 男性 14.2 女性 5.6 男女格差 約2.54倍
 1980年 男性 18.3 女性 6.6 男女格差 約2.77倍
 1985年 男性 20.8 女性 7.4 男女格差 約2.81倍
 1990年 男性 23.3 女性 8.0 男女格差 約2.91倍
 1995年 男性 19.1 女性 6.2 男女格差 約3.08倍
 2000年 男性 18.5 女性 5.8 男女格差 約3.19倍
 2004年 男性 15.8 女性 7.3 男女格差 約2.16倍

 フィンランドの1950年から2004年までの10万人当たりの男女別自殺率

 1950年 男性 26.5 女性 5.4 男女格差 約4.91倍
 1955年 男性 32.4 女性 8.5 男女格差 約3.81倍
 1960年 男性 32.7 女性 8.9 男女格差 約3.67倍
 1965年 男性 32.2 女性 8.1 男女格差 約3.97倍
 1970年 男性 34.4 女性 9.2 男女格差 約3.74倍
 1975年 男性 40.6 女性 10.4 男女格差 約3.9倍
 1980年 男性 41.6 女性 10.4 男女格差    4倍
 1985年 男性 40.4 女性 9.8 男女格差 約4.12倍
 1990年 男性 49.3 女性 12.4 男女格差 約3.98倍
 1995年 男性 43.4 女性 11.8 男女格差 約3.68倍
 2000年 男性 34.6 女性 10.9 男女格差 約3.17倍
 2004年 男性 31.7 女性 9.4 男女格差 約3.37倍

 日本の1950年から2004年までの10万人当たりの男女別自殺率

 1950年 男性 24.0 女性 15.3 男女格差 約1.57倍
 1955年 男性 31.5 女性 19.0 男女格差 約1.66倍
 1960年 男性 25.1 女性 18.1 男女格差 約1.39倍
 1965年 男性 17.3 女性 12.2 男女格差 約1.42倍
 1970年 男性 17.2 女性 13.2 男女格差 約 1.3倍
 1975年 男性 21.4 女性 14.6 男女格差 約1.46倍
 1980年 男性 22.2 女性 13.1 男女格差 約1.69倍
 1985年 男性 26.0 女性 13.1 男女格差 約1.98倍
 1990年 男性 20.4 女性 12.4 男女格差 約1.64倍
 1995年 男性 23.4 女性 11.3 男女格差 約2.07倍
 2000年 男性 35.2 女性 13.4 男女格差 約2.63倍
 2004年 男性 35.6 女性 12.8 男女格差 約2.78倍

 この統計で最も最新の男女自殺率格差を挙げると、アイスランドの2004年が約2.85倍、スウェーデンの2002年が約2.75倍、デンマークの2001年が約2.37倍、ノルウェーの2004年が約2.16倍、フィンランドの2004年が約3.37倍、日本の2004年が約2.78倍だ。デンマークとノルウェーは日本よりも男女自殺率格差が小さく、アイスランドとスウェーデンは、日本とほぼ同じだ。フィンランドだけが例外だ。

 先進国の男女の自殺率格差は日本以上というのなら、北欧諸国は先進国ではないのか。ジェンダーが関連することで北欧諸国は毎回のように出てくるが、都合が悪くなると北欧諸国を除外するという二重基準だ。

 普段から北欧諸国をジェンダー問題の先進国とするのならば、北欧諸国の男女の自殺率の推移こそ参考にするべきではないのか。

 北欧諸国を見ると、フィンランドの1990年 男性 49.3 女性 12.4 男女格差 約3.98倍、1995年の男性 43.4 女性 11.8 男女格差 約3.68倍は、男女の自殺率の高さと男女格差の開きからいって、自殺率の統計上で最悪の部類に入るだろう。

 デンマークは、1990年までは女性の自殺率が高く、特に1980年と1985年は20を超えている。世界各国の男女別自殺率の推移(WHO)での日本女性の自殺率を見る限りは、20を超えている年はない。デンマークの女性の自殺率の高さは、日本女性以上だった。

 アイスランドは自殺率の推移が非常に不規則で、安定した国のある姿ではないと言えるだろう。

 ノルウェーは男女平等の筆頭に挙げられることが多い国だが、女性の自殺率の推移を見ると、年々少しづつ高くなっている国だ。1955年、1960年、1965年に比べると、明らかに女性の自殺率が高くなっている。日本の場合には、曲がりなりにも少しづつは女性の自殺率が減ってきているのとは対照的だ。

 北欧諸国は、自殺率の男女格差や、女性の自殺率の高さなどから考えると都合が悪いところがあって、自殺問題の場合には外して考えたいという心理が働くこともあるのだろう。


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2008/01/04|先進国の男女自殺率格差と北欧TB:0CM:0

 男女自殺率格差問題が深刻なフィンランド

 高橋祥友『自殺予防』(岩波新書)161頁は、「次に国のレベルでの自殺予防対策が成功した例を見ていこう」として、フィンランドの事例をあげている。

 フィンランドは自殺対策で成功した国とされることが多く、【ファンキー通信】自殺予防はフィンランドから学べ!などの記事もある。

 世界各国の男女別自殺率の推移(WHO)にフィンランドのPDFがある。

 フィンランドの1950年から2004年までの10万人当たりの男女別自殺率

1950年 全体 15.5 男性 26.5 女性 5.4 男女格差 約4.91倍
1955年 全体 20.0 男性 32.4 女性 8.5 男女格差 約3.81倍
1960年 全体 20.4 男性 32.7 女性 8.9 男女格差 約3.67倍
1965年 全体 19.8 男性 32.2 女性 8.1 男女格差 約3.97倍
1970年 全体 21.3 男性 34.4 女性 9.2 男女格差 約3.74倍
1975年 全体 25.0 男性 40.6 女性 10.4 男女格差 約3.9倍
1980年 全体 25.7 男性 41.6 女性 10.4 男女格差 4倍
1985年 全体 24.6 男性 40.4 女性 9.8 男女格差 約4.12倍
1990年 全体 30.3 男性 49.3 女性 12.4 男女格差 約3.98倍
1995年 全体 27.2 男性 43.4 女性 11.8 男女格差 約3.68倍
2000年 全体 22.5 男性 34.6 女性 10.9 男女格差 約3.17倍
2004年 全体 20.3 男性 31.7 女性 9.4 男女格差 約3.37倍

 フィンランドの1990年 男性 49.3 女性 12.4 男女格差 約3.98倍、1995年の男性 43.4 女性 11.8 男女格差 約3.68倍は、男女の自殺率の高さと男女格差の開きからいって、自殺率の統計上で最悪の部類に入るだろう。
 
 この統計を見ると1975年から1995年までの特に高かった自殺率が最近になって少し下がっただけだ。2004年の全体の自殺率は1960年と同じくらいで、1955年と1950年のほうが全体の自殺率が低い。

 フィンランドが自殺対策先進国と言われる際に、男女の自殺率格差問題は全くと言っていいほどに考えられていない。単に、全体の自殺率が増えたか減ったかが焦点になっている。フィンランドの男女自殺率格差は、自殺対策先進国とは考えられないくらいに開いている。

 フィンランドは、男女平等が進んだ国と言われることもあり、それと自殺率の問題が重ね合わせられて論じられることがある。

 高橋祥友『自殺予防』162頁に「フィンランドに関する基礎知識」の項目があり、以下のことを書いている。

北欧の一院制の議会制民主主義国であり、他の北欧諸国とともに、女性の社会的進出が顕著である。一九〇六年にはヨーロッパ初の女性選挙権が認められた。一九九九年の総選挙では、二〇〇名の議員中七四名が女性。二〇〇〇年には、初の女性大統領が誕生した。二〇〇五年には、十八閣僚中八のポストが女性であった。



 こういう言説が意味するところは、女性の社会進出が進み、女性の政治家が増えて、女性の大統領が出るまでの国だから、自殺対策が進んでいるということだ。

 だが、女性の大統領が出て、女性の政治家がいくら増えても、男女の自殺率格差は一向に縮小することはない。フィンランドの例を見ても、女性の政治家や大統領が出るまでに女性の社会進出が進んでも、男女の自殺率格差は開いたままだ。

 女性の社会進出が進むとこんな特典がありますよと言って、男女の自殺率格差が縮小しますよとか言うのはやめるべきだ。女性の社会進出の問題は、女性の社会進出対策として促進すればいいことで、何かのおまけみたいに色んなものをくっ付けては、根拠がないと反論されるものばかりではどうしようもない。

 フィンランドでも、男性の人命問題が無視され、それよりも些細な他の女性問題に予算が使われているのだろう。世界的に見ても、男女の自殺率格差や男女の平均寿命という男性の人命問題が重視されることはない。

 若桑みどり『戦争とジェンダー』(大月書店)78頁にあるように「ジェンダー分業の究極のありかたは、『女は生命、男は戦争』」である。男女の自殺率格差を放置し続けることは、その「女は生命、男は戦争」を肯定し続けることだ。生命の存在である女は人命が重視され、戦う性である男は人命が軽視される。

 男女自殺率格差問題を考えないのは、女を他者に追いやることをいつまでも肯定し続けることだ。


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2008/01/03|フィンランドと自殺率格差問題TB:0CM:0

 男女の自殺率格差問題を女性の自殺問題にすり替え

 日経サイエンスのサイトに、「特集 自殺は防げる データで見る日本の自殺」がある。詫摩雅子はそこの自殺に関する“誤解”で「必ずしも誤りではないが,全体像を考えるとやや的外れと思われる表現を耳にすることがある。以下に挙げてみた」として、以下のことを挙げている。

男性に自殺が多い:これもまったくその通りで,ほとんどの国で男性の方が女性よりも自殺率が高い。日本でも男性の自殺者は女性の2.5倍である。現在のように中高年の男性自殺者が急増する前(例えば1997年)はだいたい2倍だった。男性が女性の2倍というのは世界的に見ると小さな数字だ。先進国ではやや特殊な部類に入る。米国では男は女の4.2倍,英国は3.6倍だ。日本では女性の比率が高いことがわかる。実際,WHOが把握している99カ国の自殺率を男女別に比較すると,日本は男性では世界12位,女性では5位になる。日本でも男性の方が自殺者は多いが,日本は女性の自殺率が高い国といえる。



 詫摩雅子は「男性が女性の2倍というのは世界的に見ると小さな数字」と言い、「先進国ではやや特殊な部類」と言う。そして、他の国での男女格差を出し、他の国ではこれだけの格差があると言い、女性の自殺率が高い国が日本であると言っている。

 これは、自殺率の男女格差問題を日本女性の自殺率の高さに論点をすり替えて、女性問題とする手法だ。現在の自殺率格差が問題であるのに、なぜ、2倍と言っているのだろうか。2003年の日本の男女の自殺率格差は3倍くらいあった(自殺対策白書のPDF)。

 詫摩雅子のこの文章は、これだけを読んでも非常におかしなことを言っている。この文章の論理に倣うと、女性問題の話をしている時に、世界的に見れば小さな数字であるからと言うすり替えが可能になる。

 例えば、強姦率だ。日本の強姦率は世界的に見ても最も少ない部類で、他の国はこれだけ強姦率が高いと言い、日本男性による日本女性への強姦の問題を他のことにすり替えているようなものだ。

 あるいは、殺人率だ。日本の殺人率は世界的に見ても最も少ない部類で、他の国はこれだけ殺人率が高いと言い、日本男性による日本女性への殺人の問題を他のことにすり替えているようなものだ。

 このような女性問題に対するすり替えを行った時には、どういう反論がされるのだろう。目に見えるような反論は、「他の国がどれだけ強姦率が高いか、殺人率が高いかは関係ない」というものだ。そんなことよりも、日本国内の女性問題をもっと考えろというものだろう。それと同じく、男女の自殺率格差も考えられないのだろうか。

 実際に、世界的に見て、日本女性の自殺率が日本男性の自殺率と比べて、そんなに順位が高いと強調するほどのことなのかという問題もある。

 図録▽世界各国の男女別自殺率

男性の自殺率が特段に高い旧ソ連諸国は女性については男性ほどほど水準が高くないためである。日本は男性も、女性も同様に自殺率が高いのであり、女性だけが特に高いわけではない。



 つまり、旧ソ連諸国での男性の自殺率のあまりの高さに比べると、旧ソ連諸国の女性の自殺率が不均衡すぎるほどに少ないことに理由がある。

 図録▽世界各国の男女別自殺率にある順位で、女性の自殺率の高い順の15位までは、以下の通り。単位:人/10万人。

1.スリランカ(96)16.8
2.韓国(04)15.0
3.中国本土(99)14.8
4.リトアニア(04)14.0
5.スロベニア(04)13.9
6.日本(04)12.8
7.香港(04)12.4
8.ガイアナ(03)12.1
9.ハンガリー(03)12.0
10.ベルギー(97)11.4
11.スイス(04)11.3
12.ロシア(04)10.7
13.ユーゴスラビア(02)10.4
14.フィンランド(04)9.4
15.クロアチア(04)9.8

 図録▽世界各国の男女別自殺率にある順位で、男性の自殺率の高い順の15位までは、以下の通り。単位:人/10万人。

1.リトアニア(04)70.1
2.ベラルーシ(03)63.3
3.ロシア(04)61.6
4.カザフスタン(03)51.0
5.ハンガリー(03)44.9
6.スリランカ(96)44.6
7.ウクライナ(04)43.0
8.ラトビア(04)42.9
9.ガイアナ(03)42.5
10.スロベニア(04)37.9
11.日本(04)35.6
12.エストニア(05)35.5
13.韓国(04)32.5
14.フィンランド(04)31.7
15.ベルギー(97)31.2

 男女の自殺率を見ると、その幅に明らかに違いがある。女性の自殺率は、15位のクロアチアと1位のスリランカの差は±7だ。一方、男性の自殺率は15位のベルギーと1位のリトアニアの差は38.9もある。

 男性の自殺率は、15位のベルギーの2倍の自殺率でも1位のリトアニアの自殺率にはならない。一方、女性の自殺率は15位のクロアチアを2倍にすると1位のスリランカ以上になる。

 男性の自殺率の1位から15位までの幅は女性の約5.6倍もある。

 リトアニアのように、70.1と14.0というあまりに不均衡な自殺率の男女格差があり、女性の自殺率は順位が下がっても男性ほどに変わるわけではなく、そもそもの率の数字自体が男性の自殺率よりかなり少ない。男女の自殺率格差のありようには、かなりの違いがあるのだ。

 日本女性の自殺率の順位が日本男性より高くなっている主原因の旧ソ連諸国について、東欧の警察によって、多くの殺人が自殺として不正に処理されているのではないのかということが、wikipediaに書いている([citation needed]とあるが)。

 List of countries by suicide rate

Also, due to the highly corrupt police forces in Eastern Europe, many murders are written off as suicides.



 ベラルーシ、ロシア、ハンガリー、ウクライナのような東欧諸国のあまりに不均衡な男女の自殺率格差は、東欧のいい加減な警察が自殺として処理したから、男性の自殺率が跳ね上がり、女性の自殺率との格差が開いている可能性があるのかもしれない。 

 日経サイエンスの詫摩雅子のように、男女の自殺率格差の話をしているのに、女性の自殺率の高さにすり替え、他の国ではもっと格差があると言い出し、女性問題にしてしまえというのは考えてみると非常にあくどい手法だ。

 男女の自殺率格差で男性の自殺率が自殺総数の70%を超えているのは、人命問題であることを考えると非常に重大な問題だ。だが、男女共同参画予算では、男性の人命問題の予算が全くない。人命問題に比べると、些細と言うしかない他の女性問題が優先されている。

 男女の自殺率格差という重大な人命問題が全く考えられずに、「男女の自殺率格差の拡大問題よりも、他の女性問題が先」という女本質主義のあくどさがよく分かる。


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 男女の自殺率格差とジェンダー:女性が周縁・他者になる理由

 図録▽世界各国の男女別自殺率を見ると、2004年の日本男性の自殺率は日本女性よりも約3倍くらいも多い。男女の自殺率格差は人命問題だ。人権で最重要の項目である人命問題であるにも関わらずに、ジェンダー論で真剣に論じられることがない。

 加藤秀一『ジェンダー入門』(朝日新聞社)131-132頁

中高年男性の自殺という悲劇は、「男も差別されている」からではなく、男たちが男性役割に呪縛され、苦しみながらも、悲鳴を上げることさえできないというところから−−それが原因のすべてではないにせよ−−生じてくるのです(他人に悩みを打ち明けることが苦手であるというのも、よく知られた「男性役割」の一側面です)。



 このように、ジェンダー論では男性の自殺率と男らしさを結びつけることがよく行われている。だが、男らしさの規範が弱まった現在のほうが男性の自殺率は高くなっているし、男女の自殺率格差が拡大している。

 WHOのCountry reports and charts availableのWestern Pacific RegionにJapanのpdfがある。そのpdfには、Suicide rates (per 100,000), by gender, Japan, 1950-2004.とSuicide rates (per 100,000), by gender and age, Japan, 2004とNumber of suicides by age group and gender. JAPAN, 2004がある。

 つまり、次の3つがpdfにある。

・1950年から2004年までの日本の10万人当たりの男女別自殺率
・2004年の日本の性別と年齢の10万人当たりの自殺率
・2004年の日本の年齢層と性別の自殺数

 1950年から2004年までの日本の10万人当たりの男女別自殺率(自殺対策白書のPDFにもっと詳しく載っています)。

 1950年 男性 24.0 女性 15.3 男女格差 約1.57倍
 1955年 男性 31.5 女性 19.0 男女格差 約1.66倍
 1960年 男性 25.1 女性 18.1 男女格差 約1.39倍
 1965年 男性 17.3 女性 12.2 男女格差 約1.42倍
 1970年 男性 17.2 女性 13.2 男女格差 約1.3倍
 1975年 男性 21.4 女性 14.6 男女格差 約1.46倍
 1980年 男性 22.2 女性 13.1 男女格差 約1.69倍
 1985年 男性 26.0 女性 13.1 男女格差 約1.98倍
 1990年 男性 20.4 女性 12.4 男女格差 約1.64倍
 1995年 男性 23.4 女性 11.3 男女格差 約2.07倍
 2000年 男性 35.2 女性 13.4 男女格差 約2.63倍
 2004年 男性 35.6 女性 12.8 男女格差 約2.78倍

 現在になるほど男性の自殺率は高くなっている。男らしさの規範が弱まったのに高くなっている。このことから、男性が男らしさの鎧を取れば自殺率が低くなるとは言えない。

 男女自殺率の格差も現在になるほど拡大していることが分かる。このことから、男性が男らしさの鎧を取ると男女の自殺率格差が縮小するとも言えない。

 ジェンダー論や女性学や男性学で、男性の自殺率や男女の自殺率格差問題を、男らしさと結びつけるのはなぜだろうか。統計を見れば、男らしさよりも他に主原因があると読み取れるのに男らしさと言い続けている。ここに、ジェンダー論、女性学、男性学の胡散臭さがはっきりと見て取れる。

 女性の政治家が増えたほうが男性の人命問題が考えられるようになるとか、女性が責任ある立場になった社会のほうが男女ともに幸せな社会になるなどという言説はなんだろうか。

 男女共同参画予算には「生涯を通じた女性の健康支援」が設けられている。だが、男性の人命問題のための予算は全くない。平均寿命も男性のほうが7年くらい短く、男女の自殺率格差は男性のほうが3倍くらい多い現状であるのに、女性の健康支援の予算があるだけだ。

 男女共同参画がこのようなことをするのは、男女共同参画を推進すれば男女の自殺率格差は縮小するという思想があるからではないのか。男女共同参画を推進し「男は仕事/女は家庭」ではなく、女性も社会に出て責任ある立場に立つ人が増えれば、男性の負担が減るから、男性の人命問題は解決されると思っているのではないのか。男女共同参画を推進し、男らしさの負担を減らせば解決すると思っているのではないのか。男性の人命問題の予算を付けないのは「男女共同参画を推進すれば解決する問題だから」という妄想があるのだろう。

 だが、統計上は女性の社会進出が進み、社会で責任ある立場に就く女性が増えた現代のほうが、自殺率の男女差は拡大している。男らしさはおかしいと散々言われている現代のほうが、自殺率の男女差が開いているのだ。

 責任ある立場に就く女性が増えても、男性の人命問題は一向に無視されたままだ。男社会の傾向が強かった時代のほうが格差は縮小し、男性の自殺率も少なかった。男女共同参画を推進すれば、男女の自殺率格差は縮小するという根拠はない。その根拠がない以上、現在の男女共同参画予算が女性の健康支援だけであることを正当化できない。

 人権で最重要項目である人命問題でさえも予算を全く付けないのは、男女共同参画局が「男がいくら死のうが知ったことではない」と言っているのと同じだ。予算額の制限があるのならば、人命問題であることを考えて、女性用の予算を減らしてそれを使えばいいことだ。

 男女の自殺率格差が3倍くらいあることを無視し続けるのは何を意味するのか。「男は命をかけてでも、か弱い女を守る」ことを肯定するものだ。それは、保守派の意見だ。「男は仕事/女は家庭」「女は家事・育児をする特性がある」「女には母性があるのが当然」などのことと男女の自殺率格差を肯定することはつながる。

 男女の自殺率格差が3倍くらいあっても男性の命のことを考えないのは、男が社会に出て荒波と戦う性だからであり、女は家にいて命を守られる性であり、そんな女は母性があるのは当然となる。

 3倍くらいあるのに放っておけというのは、男は戦う性で女は守られる性だからだ。戦う性は主体的に行動し歴史をつくる。守られる性は周縁化され、他者になる。

 若桑みどり『戦争とジェンダー』(大月書店)78頁にあるように「ジェンダー分業の究極のありかたは、『女は生命、男は戦争』」である。男女の自殺率格差を放置し続けることは、その「女は生命、男は戦争」を肯定し続けることだ。生命の存在である女は人命が重視され、戦う性である男は人命が軽視される。

 男は戦う性だから命が擦り切れるのであって、女は戦わないで守られる性だから命を重視される。男女の自殺率格差が3倍くらいあっても男性の人命問題を無視し続けている現状では、女を周縁に追いやって、女が他者になるのは当たり前だ。

 女の他者性を問題視しているフェミニストたちが、その他者性を本当につくりあげている男女の自殺率格差を問題にしないといけない。フェミニストたちは男らしさが問題と言うだけで、男女共同参画予算に男性の人命問題の予算がないのを問題視しない。

 男女の自殺率格差が3倍くらいあるのを肯定し続ける限り、女は周縁の存在であり、女は他者であり続ける。


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 笹沼朋子「差異派こそがジェンダー」、松山市へ意見書

 笹沼朋子の「松山市男女共同参画推進条例の運用の基本方針を明確にすることを求める請願に関する意見書」が、ここのワード文書ファイルにある。

 そのワード文書を読んでいると疑問に思ったところがあった。

請願事項2では、「身体及び精神における男女の特性の違いに配慮すること」とございますが、女性の身体及び精神における特性を強調するような研究あるいは学習こそが、「女性学」あるいは、最近になってからは「ジェンダー学」と呼ばれているものでございます。



 これは典型的な差異派フェミニズムの主張だ。フェミニズムは差異か平等か、平等か差異かといつまでも言っている。おそらく、フェミニズムがなくなるまで言っていることだろう。

 男女の差異を強調する差異派は、女性特有の女性ならではの事柄に重きを置く。その差異派が重要視されるのは当然だが、笹沼朋子はそれこそが「ジェンダー学」だと言っている。これを意見書に書く笹沼朋子こそが偏った意見の持ち主だ。

 笹沼朋子は最初のページに、以下のことを書いている。

はっきり言って、この請願は、あまりに不勉強。ジェンダー学とか女性学とか学問の領域について言及しているのに、それが何を指しているのか、まるで分かっていない。



 ポスト構造主義思想の下で差異派こそがジェンダーだという笹沼朋子は、ジェンダー概念がジョーン・スコット『ジェンダーと歴史学』よりも前のところで止まっているのではないのか?バトラー『ジェンダー・トラブル』に書いてあることなんて、恐ろしくて認めたくないことばかりではないのか?ポスト構造主義思想は『ジェンダー・トラブル』よりも、もっと狂気の沙汰のことを言っている。

 笹沼朋子は、ワード文書の意見書に以下のことも書いている。

 さらに、女性学(そして一部のジェンダー学)とは、女性が男性と同じように扱われてきたことを問題として、女性に焦点を当てるものでございます。



 笹沼朋子はここで、女性学とジェンダーからの主張は違うことを認めている。笹沼朋子の「差異派こそ」という主張は、ジェンダー論では女性学の時とは違って一部になったと認識している書き方だ。

 そうなると、松山市のジェンダー学というものへの批判は、笹沼朋子の意見とも重なっているのではないのか。保守派は、ジェンダーからの平等派に憤っているのだ。差異派がジェンダーでは軽く扱われることに松山市も疑問に思い、笹沼朋子も疑問に思っているのだろう。笹沼朋子は松山市を批判しているつもりが、「ジェンダー学」というものへの批判では、松山市と笹沼朋子は一致点を見出せるところがある。両者共、ポスト構造主義思想を受けすぎたジェンダー論には抵抗がある。

 ジェンダーという言葉を利用したフェミニストがバカなことを言ってきたから、ジェンダーへの批判が強まったことでもある。若桑みどり『お姫様とジェンダー』(ちくま新書)の12頁には「女性は子どもを生むことのできる生物体であるということだけが男性とちがっている」と書いている。何でも男と同じの平等派が行き着く先だ。

 笹沼朋子はこの若桑みどりの意見には反対だろうが、松山市もこのような平等派の意見に反対なのだ。笹沼朋子のような差異派のフェミニストたちが、特に若桑みどり言説に厳しく批判するべきだった。こういう若桑みどりのような行き過ぎた平等派の意見に、保守派はイラ立っている。若桑みどりは、上野千鶴子のジェンダーフリーの件や、対バックラッシュとしても知名度のあるフェミニストだったので、特に批判をしておくべきだったのではなかったのか。

 笹沼朋子の「差異派こそがジェンダーだ」という意見書こそが混乱の元であり、現在のポスト構造主義思想下のジェンダー概念を著しく制限するものだ。そんな混乱の元となる意見書を出して松山市を批判しているつもりが、松山市が望む差異派の主張に同調するところもある。この意見書ってこれでいいのだろうか?と思った。

 現代思想やポスト構造主義に関心のある人は、笹沼朋子のこの意見書を読むと、疑問に思うところがあるのではないだろうか?


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2007/12/16|笹沼朋子と差異派ジェンダーTB:0CM:0

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