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2008/09/08|

 反フェミニズム:保守派の右派思想,男性差別の左派思想とその彼方

フェミニストたちの反フェミニズム分析は、あまりに稚拙であると言うほかない。『バックラッシュ!』(双風舎)は反フェミニズム分析の本でもあり文量もあったが、反フェミニズム分析は全体として見れば不十分だった。

フェミニストたちがよく言うことに、「フェミニズムはこれだけ多様性がある」という常套句がある。

上野千鶴子・小倉千加子『ザ・フェミニズム』(ちくま文庫)235-236頁

小倉 だから、「フェミニズムがめざすものは?」と問われたときに、答えはありません。フェミニズムをひとくくりにすることはもうできないんです。みんな言っていることが違う。フェミニズムは一人一派です。



このように、フェミニズムには多様性あると主張する一方で、フェミニズム批判の多様性を認識していない。ジェンダーフリー論争では批判する者たちをバックラッシュという仮想敵に仕立て上げて、自らが作り上げた虚構と戦っている有様が随分と見えて滑稽だった。実体のない相手をバックラッシュとして戦っていたのである。

人命問題での反フェミニズム主張はどういうものがあるのか。

保守派は、男女の自殺率格差問題をどう思っているのか。

保守派は「男は一生涯をかけて女を守るべき」と思っている。保守派は保守派の路線で、それを言っている。保守派は「男は女を守るべき」と当然に思っているから、男の命が女の命よりも軽く扱われていることを問題視しない。保守派の言っていることは、ジェンダー平等の路線から外れている。だが、保守派は、そもそもがジェンダー平等を主張していないのだから、当初からの信念を貫いているだけだ。

その保守派の「守られる存在としての弱い女」像を批判してきたのがフェミニストたちだ。だが、フェミニストたちは、人命問題という最も重要な人権問題で結局、保守派の男たちと同じだった。最も重要な人権問題でフェミニストたちと保守派は、結果的な利害は一致しているのだ。

母性主義フェミニストや、最近になって言われているフェミウヨなどではなく、ジェンダー平等を主張しているフェミニストたちにとっては、男性の人命問題を無視するとジェンダー平等の論理と甚だしく矛盾することになる。男女の自殺率格差問題を無視し続けるフェミニストたちは、ジェンダー平等を本気で考えているフェミニストではない。

現在の男女共同参画局がジェンダー平等の論理から甚だしく矛盾しているのは言うまでもない。

反フェミニズム主張をしている者たちは、若桑みどりが『戦争とジェンダー』(大月書店)で言った究極のジェンダー分業である「女は生命、男は戦争」のジェンダー分業を固定的に思っている右派思想の者も多い。

右派思想から反フェミニズム主張をしている者たちは、青少年犯罪は凶悪化したとか、道徳教育の強化とか、新渡戸稲造の武士道が日本の伝統とか、性道徳の強化や純潔教育なども主張している。右派思想から反フェミニズムを主張している男たちに男性の人命問題を言っても、「女性の命のほうが尊重されるのは当然。女々しいことを言うな」などと言うだけだから、言うだけ無駄だ。

右派思想から反フェミニズム主張をしている者たちは、家父長的温情主義から主張している。

フェミニストたちがバックラッシュとして主に批判対象にしているのは、保守派の右派思想の者たちの主張だ。毎度のように、八木秀次・林道義の二人を出して得意げに批判している有様は、保守派の男たちが田嶋陽子を批判して「フェミニストよ、これで参ったか!」という妄想と同程度のことである。

男性差別や男性学を主張ををする者は、男性の人命問題をどう思っているのか。男性差別主張をしている者たちは、男らしさを問題にしている。だから、男女の自殺率格差も男らしさが原因と言う。ウェブ上で男性差別主張をしている男たちで、専業主婦に猛烈な批判や罵倒をする集団は、これに属する。こういう男性差別主張の者たちは、男女の自殺率格差問題は男らしさが原因だと教条主義的に思い込み、本当の理由を考えない。

こういう者たちは、教条主義的フェミニズムの狭量なフェミニズムの信奉者だ。単なる教条主義フェミニストの男版にすぎない。

この左派思想から男性差別主張をする男たちに男女の自殺率格差問題を言っても、怪しげなメンズリブ集団の「男の料理教室」とか「男は加害者として反省する会」のように、男らしさ教条主義から男らしさを問題に仕立て上げて虚構を作るだけで、真剣に分析しようとはしない。

結局、男性の人命問題に対して、右派思想の保守派たちも、左派思想の男性差別主張の者たちも、いい加減な考えを持っているだけだ。

反フェミニズム主張をしている者たちは、右派思想、左派思想と単純に分けられるものではない。保守派の右派思想と男性差別の左派思想の彼方には、何があるのかを認識することが重要だ。ここの分析がフェミニストたちは非常に乏しく、バックラッシュと一括して仮想敵を作り出す傾向にある。

右派思想の保守派の者たちは「ジェンダーはセックスを規定する」を極左だと思っている。左派思想の男性差別の者たちは、男らしさを極端に批判している。

私自身のことで言えば、「ジェンダーはセックスを規定する」など大したことではないと思うし、男らしさを強固に持つマッチョ男のことを否定するつもりもない。

「ジェンダーはセックスを規定する」を肯定し、それを大したことではないと言う者にはバックラッシュと言わないと思い込んでいたフェミニストが、同一人物がマッチョな男像を肯定したために、バックラッシュと言おうか言わないかで迷ってしまう。狭量な教条主義フェミニストの苦悩である。

「ジェンダーはセックスを規定する」は、ポスト構造主義思想の影響を多分に受けてのものだ。

ポスト構造主義を経由した後の現在では、フェミニズムのありようがかなり変わった。ポスト構造主義からフェミニズム内部の理論に入り込み、フェミニズムを内部から揺さぶるのは、かなり効果的ではないだろうか。

この批判の仕方をバックラッシュと言う教条主義フェミニストは、心底バカではないのかと思う。ポスト構造主義からのフェミニズム批判は、フェミニズムをなくす勢力だとして、「ポストフェミニズム勢力からのバックラッシュ」と取られる可能性もある。

ポストフェミニズムという名称は、バックラッシュ側に利用される可能性があるために、 “ポスト”フェミニズムとしたのが竹村和子だ( 『“ポスト”フェミニズム』(作品社))。 “ポスト”フェミニズムまでは許せるが、ポスト構造主義ジェンダー論までになるとフェミニズム理論の枠外に出てしまうので、抵抗があるフェミニストも多いのではないのか。

竹村和子は『“ポスト”フェミニズム』の序文で、ジェンダーは価値中立的な響きがあり、現実の権力関係の問題を考えると、ジェンダーという用語よりもフェミニズムという用語にしたくて“ポスト”フェミニズムという題名にしたとある。そうなると、ジェンダーという時点ですでに反フェミニズム的なところもあるということだ。

ポスト構造主義ジェンダー論は、その価値中立的と思われているジェンダーにも潜む自明性に、さらに疑いのまなざしを向けまくるものだ。そのため、そんなポスト構造主義思想からフェミニズム批判をされると、フェミニズムは本当になくなってしまうかもしれないと危惧する心穏やかではないフェミニストが、実はかなりいるのではないだろうか。

そういう心穏やかではないフェミニストは、家父長制本質主義としてまとまり、男全体を叩きたいという無意識の心理があるのではないのか。ポスト構造主義からのフェミニズム批判をバックラッシュと言いたくてウズウズしているのだろう。しかし、そんなことを今更言ってしまうと、少なくとも学者フェミニストではないと思われてしまう。

ポスト構造主義は狂気の沙汰の思想であり、それに比べると日本のフェミニズムは何とも思想の幅が狭い。ポスト構造主義からの日本のフェミニズム批判を本気ですると、保守派のバックラッシュどころではない。保守派のバックラッシュは単なる感情論であったり、男女同室着替えはジェンダーフリーに基づいて始められたなど根拠のないことをよく言っている。ポスト構造主義からのフェミニズム批判によって、日本のフェミニズムの本質主義は暴露され、徹底的に批判される。

ポスト構造主義を経由して、その影響を受けたフェミニズムの宿命である。

ジェンダー分析がすでにフェミニズムの内部の論理をズラすものでもあるのだから、その彼方にあるポスト構造主義からのフェミニズム批判も、バックラッシュと言わずに受け入れるより仕方がない。

フェミニズムの内部にポスト構造主義思想で入り込み、フェミニズムを内部から揺さぶる「反フェミニズム勢力」からは、右派思想からの保守派や左派思想からの男性差別主張をしている者たちと同調しないところがかなりある。狭量な教条主義的フェミニストたちが思っているほどに、反フェミニズム思想は固定的ではないし、流動的である。

ここで取り上げた右派思想からの保守派という最も典型的なバックラッシュ勢力と、左派思想からの男性差別や男性学の路線からの勢力と、ポスト構造主義からフェミニズムを批判する派の3つだけでも、かなりの違いがある。

さらには、それら3つが混交して複雑なありようをしていることもある。男性差別主張をする者たちで左派ではなく、右派思想から男性差別主張をしている者たちもいるし、右派思想に基づいた男性学もあり得る。

フェミニズム批判はその3つだけではない。保守派のバックラッシュや男性差別の左派思想やポスト構造主義からの批判とも違って、ポストフェミニズムとしてフェミニズムを抹消したい主張などもあって、何が何だか分からないくらいではないのか。

実際にフェミニズムを批判している者たちは、フェミニズムの分派と同じくらいに分かれているのではないのか。

フェミニストたちがバックラッシュとして批判している相手は、仮想敵であり、実体がない相手であることも多いことを認識したほうがいいのではないだろうか。


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