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2008/09/08||▲
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| 男女の生命の非対称があらゆる原因ではないのか
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あらゆるジェンダーの非対称は、男女の生命の非対称に理由がある。
「男は仕事/女は家庭」も、国会議員に女性が少ないことも、大企業の社長に女性が少ないことも。フェミニストが今まで批判してきたあらゆる女性差別の根源にあるのは、男女の生命の非対称のありようだ。
ここでも、『戦争とジェンダー』(大月書店)78頁で若桑みどりが言った「ジェンダー分業の究極のありかたは、『女は生命、男は戦争』」を出さないわけにはいかない。
「女は生命、男は戦争」は究極のジェンダー分業であり、男女の生命の非対称を最も如実にあらわしている。
若桑みどりは、究極のジェンダー分業が「女は生命、男は戦争」であるところまでは辿り着いた。だが、それで終わってしまっては、表層上の問題点の指摘にすぎない。
「女は生命、男は戦争」であるという指摘だけでは、それが本質主義で終わってしまう。「男女の生命の非対称のありようは本質主義であるから、変わりようがない。だから、ジェンダー分業が維持される」という結論を導くことにもつながる。若桑みどりは「女は生命、男は戦争」の指摘をしたまではよかったが、その後の分析が不十分なままに終わってしまった。
「女は生命、男は戦争」という究極のジェンダー分業は、本当に生物学的な性差に基づくのかということは、男女の自殺率格差問題は生物学的性差の本質主義かに書いている。生物学的性差ではなく、現状でも、ある程度の改善はできる余地がある。
男女の生命の非対称はどうしようもないことではなく、対策をする気があればできるものだ。だが、フェミニストたちはそれをしない。男女共同参画局に至っては、全くする気がない。
男女の生命の非対称の対策があるのにしない限りは、ジェンダーは非対称であり続ける。男性の人命問題は無視され、あらゆる女性差別は温存され、それらはなくなることはない。そして、それを望んでいるのは、多くのフェミニストたちであり、男女共同参画局である。
フェミニストたちは女性差別の理由を今まで散々議論してきたのに、男女の生命の非対称のありようを真剣に論じてこなかった。男女の自殺率格差とジェンダー:女性が周縁・他者になる理由などに書いてある。
究極のジェンダー分業を強固に維持してきたのがフェミニストたちであることは、もはや疑いようがない。女性差別を根源的に支持しているのは、フェミニストたちである。
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2008/01/19|男女の生命の非対称|TB:0|CM:0|▲
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